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執筆者の写真ktomonaga

「あなたは独りだ」と思いこませようとするものの正体について

(このテキストは、10月29日(木)の木曜日の朝ヨーガのお話をもとに書いています)

朝が寒く、暗くなってきました。

まだ起きる時間には早いのに、寒さで目が覚めてしまうということはないでしょうか。今朝も、わたしはそうだったのですが、目をつむりながら「もう一枚、毛布をかけたいな、でも毛布はすぐそこにはないだろうな」と思いつつ、眉間にしわを寄せて目をつむったままでいました。

でも、ふと目を開いてみると、手の届くところにちゃんと毛布が畳んであるではないですか!

毛布を布団の上にかけて、目覚ましの鳴るまでぐっすり寝ました。

でも、この時期の朝はわたくし、あまり得意ではないのです。暗くて、寒いので。

目覚ましが鳴っても、「布団の外は寒いだろうな」と思いながら、またも眉間にしわを寄せていましたが、ふと目を開いてみました。すると、すぐそこにヒーターがあるではないですか!

すぐにぽちっとヒーターに火を入れて、しばし布団の中でもごもごして、伸びをして、すっくと暖かい部屋の中、起きました。

「目を開ければ、そこに求めていたものはある」

まるで、この世の多くの寓話が示す教えそのものの朝でした。

皆様もそういうこと、ないでしょうか。

わたしは、よく爪切りを探したり、マヨネーズを探したりしていて、引き出しを開け、冷蔵庫を開け、目の前にあるのに、それに気づかないことがあります。

思い込みがあるのです。

マヨネーズは切らしていて、爪切りはどこかに行ってしまっている。

さて、わたしたちの誰もが、こうした思い込みをしているというのが、ヨーガの立場です。

それは、どんな思い込みなのでしょう。 







わたしたちの先生、スワミ・シバナンダのお弟子さんである、スワミ・クリシュナナンダがその思い込みを、ヨーガとはなんのかというところから、分かりやすく説いてくださっていますので、その拙訳をこちらに再掲出します。


「ヨーガとは、心のコントロールだとよく言われる。ヨーガの瞑想と称して大勢の人が心を抑制しようと頑張る。やってみると、これは無理だと思わなくても、非常に難しいことが分かる。その難しさは、心というものが瞑想者と分かち難くあることからやってくる。自分を抑制することが大事だという教えの背後にある重要性を大切にし、理解できなければ、難しいというだけで終わってしまって、そこからどんな警告も助言も受けとることはないだろう。心はそう簡単に自分を抑制することが大事だなんていうことを納得しない。なんだって心は抑制されないといけない?そして、なぜ、心の働きをコントロールするのに人は努力をしなければならない?どうしてヨーガは心の抑制とイコールなのか?なぜヨーガは違うものではいけないのか?このポイントがクリアでなければ、心をコントロールしようという努力は失敗に終わるだろう。明快な考えがなければどんな方向へのどんな努力も最終的には失敗に終わってしまうだろう。」


 本当に、おかしいほどにこの部分、分かります。わたしも、なんど思ったか。ヨーガが他のものだったらよかったのにと。


 クリシュナナンダジは続けます。


 「なぜ私たちは心をコントロールするべきなのか?この質問を自分たち自身に向けてみよう。」

 「そう簡単に答えは出ないだろうが。その答えは、この宇宙の構造、事物の本性を研究することで明らかになるだろう。これ以前の二章でみたとおり、宇宙とは、単に、相互に関連しあったモノ同士の莫大な広がりというものではなく、それ自体で完璧なものだ。その宇宙から私たちは独立して、隔離されて存在することはできない。でも、私たちは宇宙を何か私たちと別のものとして、自分の外に見ている。本当は、別のものではあり得ないのに。この宇宙と呼ばれるものは、私たちの外に離れてあるのではない。でも、私たちは頑なにこの宇宙を自分の外にあるものと捉えて、そう言い張る。私たちの内にある、この主張、この固執、この考えの肯定、強烈にこの宇宙は自分の外にあると信じさせようとするもの、それこそがマインド(心)と呼ばれるものだ。」

  わたしたちの誰もが、わたしたちはこの宇宙に生まれて育ったことを知っています。身体を作る分子のすべては、ビッグバンからのものです。脳もそうです。

  (そんな脳に、あるいは、ビッグバンからの分子の塊のわたしたちをして)

 「何かが、自分の外部にあると意識を働かせることは、そこに孤立した思考、もしくは独立させようとする原理、つまり、ヴェーダンタの心理学でいうアンタカーラナ、パタンジャリが伝えるヨーガの心理学でいうチッタがなければ不可能だ。―中略― マインドが制御されないといけないというのは、これで十分に明らかだろう。マインドは孤立した人格の中心として悪さを行う。マインドは、聖賢シャンカラの言う通り、大盗賊の頭であって、私たちのすべての富を強奪して、すべての人々の目を物欲しそうにして、乞食にしてしまう。」


(初出:クリシュナナンダジについてhttps://www.tomonagayoga.org/mango/1306.html

「わたしたちは孤立している」という心のはたらき。この心のはたらきを静めていくのが、ヨーガということになります。

ヨーガにいたれば、すべてのものが手に入る。そのようにも、聖典は教えます。

だからこそ、今日もご一緒に、ヨーガを行じて参りましょう。


どうぞよろしくお願いいたします。

(写真はコロンビアの18歳のフォトグラファー nrd さんより お借りしました)


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